平成十三年六月十四日(土)
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或る日曜の夕暮れ、私は散歩にでた。
思えば随分と遠出をしたものだ。
その景色を目にしたのは我が家から西に少なくとも二猫マイル、おそらくは
三猫マイルは行ったところ。外苑東通りと新目白通りが交わる交差点でのこ
とだ。
この東京という町の外側に何があるか、私は知らない。
だが、この新目白通りのはてに太陽の沈む国があるのは確かだ。
そこにはどんな猫たちが住んでいるのだろう?どんな暮らしをしているのだ
ろう?
きっと朝も昼もなく、夕暮れと夜だけが入れ替わりに訪れるのだろう。そう
だとすればなんとすばらしいところだろう。彼の地の猫たちがうらやましい
ものだ。
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その日、新目白通りから眺めた夕焼はなんとも不思議な色をしていた。
こんな美しい色は、映画の中でも見たことが無い。
赤であり、青であり、紫であり、黄金のようでもあり、だがその何れでもな
い。
不吉なほど美しい色合いだった。
そしてその色合いが、早稲田大学や雀荘やバッティングセンターやコンビ
ニエンス・ストアや都バスの車庫やアパートや生協や大衆食堂や―つまり、
この界隈の営みの一切―を鮮やかに染め付けている。
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噫、それにしても人間の言葉のなんと貧しいことだろうか。われわれ猫属な
らば、こんな感動をニャンゴロロナーゴと形容する。
トロヤの破滅はこんな色で飾られたのだろうか?
昔、羅馬(ローマ)の天子が火を放ったという都はこんな色で燃えたのだろう
か?
基督教徒たちが信じる審判の日には、世界中の空がこんな色で焦がされるの
だろうか?
だが、世界の終わりがこんなにも素晴らしい彩りの中で訪れるのならば、そ
れはきっと神々に感謝すべきことだ。
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落日の景色にうっとりとして、身じろぎも出来ずに佇んでいると横断歩道の
向こう側のビルディングから見覚えのある人影が飄々と歩み出してきた。
「おや、濁水先生。奇遇な場所で」
無教養な濁水君には猫語が分からぬのを忘れて、つい話し掛けてしまったが、
案の定全く気づかない。
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濁水先生の影は、左手からぎらぎらと照りつける夕陽にふと振り向くと往来
の邪魔になるのも忘れて、ぎょっとしたように立ち尽くしている。
逆光の中に佇む濁水君は何を考え、何を感じているのだろうか?
彼ら足の二本足りない人間どもにも、この美しさが理解できるというのだろ
うか?
もしそうならば、
いいな。
なんとなしにそう思いながら、私も濁水君も太陽が絶命するまでのしばしの間、
燃えるように耀く空と町並みに見入っていた。
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